天才は欠落している

ビリーミリガンの驚異は、個別の人格の多くが、それぞれ優れた能力を持っていたところにあった。大学レベルの物理を独学で学ぶ「インテリ人格」、武道家で超人的体力の人格、東欧の言葉を話す人格、絵のうまい人格、などなど。

ところが、それを統合して一つの人格にしたら、個々が持っていた「とがった」能力は失われ、ごく普通の人になってしまった。

何かを閉じると、開かれたところに集中する。小説で描かれる天才たちは、よく欠落した部分をもっている。
自閉症の方も時として天才的な能力が発揮されるのはこのメカニズムなのだろうか。

「赤ん坊の神経細胞が他の神経細胞と結合している数は、成人になったときの数の20倍だ」とLichtman教授は説明する。「われわれが突き止めようとしているのは、結合を減らしていく際にどのようなルールがあるのかということだ。仮に1つの神経細胞に100個の結合があり、それを5個にまで減らす必要があるとすれば、問題はどの5個を残すのかということになる」とLichtman教授は語った。

天才が天才たるには自由な発想力も要素としてある。赤ん坊から成長する何らかの過程で残ってしまったシナプス結合が、自由な発想を生むエンジンなのだろうか。普通の人間では切れてしまうシナプス結合によって、自由な発想を生む。その代わりどこか欠落する。普通の人間では非連続な発想のジャンプが、彼らにとっては自然なのだ。そして普通の人間なら反社会的として無意識に切り捨てるアイディアがつながってしまう。だから欠落しているように見える。

天才は欠落しているように見えて、僕らのたどり着けない自由を手にしているのかもしれない。